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札幌地方裁判所 昭和46年(わ)622号 判決

主文

被告人を懲役三年六月に処する。

未決勾留日数中二八〇日を右刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一、昭和四六年八月一四日午前六時四五分ころ、札幌市北八条東一八丁目付近道路において、公安委員会の運転免許を受けないで、普通貨物自動車(ライトバン、札四な四五八号)を運転し、

第二、前記日時ころ、北海道公安委員会が道路標識によつて最高速度を毎時四〇キロメートルと定めた前記場所において、右最高速度を越える毎時約六六キロメートルの速度で前記自動車を運転し、

第三、前記日時場所において、前記速度違反を現認した交通取締り中の警察官嶋田拡揮外一名から警笛と手の合図によつて停車を命じられているのを認めながら、停車することもなく、同市北八条東一八丁目の交差点を右折して逃走したため、右警察官とともに交通取締りにあつていた札幌北警察署勤務巡査田村甚作(当時二八年)から道路交通法違反の現行犯として自動二輪車(白バイ)で追跡され、同市北一四条東一六丁目付近道路で追いつかれて停止させられ、前記同市北八条東一八丁目の速度測定場所に戻るように指示されて、いつたんは田村巡査の白バイとともに右測定場所に戻るため同市北一三条東一五丁目交差点にいたり信号待ちをしていたが、同所の信号が青になると、被告人は突然、右測定場所とは逆の方向に同交差点を右折し、北一三条通りを再び逃走したため、またも同巡査からサイレンを吹鳴し、自動二輪車の赤色灯を点滅しながら追跡され、同日午前六時五〇分ころ、同巡査が同市北一六条東八丁目付近道路で時速約九〇キロメートルに加速して走行中の被告人運転の前記自動車に追いつき、同車の後輪と同巡査運転の自動二輪車の前輪とがほぼ並行になつたり運転席同士が並行になつたりするような状態で被告人車右側面から約一メートル五〇センチ右側を時速約九〇キロメートルで並進し「止まれ」と命じると、被告人は同巡査による追跡、逮捕を免がれるためには、この際、自車のハンドルを急激に右に切つて同巡査の進路を妨害するとともに、自車と同巡査運転の自動二輪車とを接触させ、その結果同巡査が転倒して負傷し、場合によつては死亡することがあつても仕方がないととつさに意を決し、いきなり自車のハンドルを急激に右に切つたため、自車右側後部付近を同巡査運転の自動二輪車左側ハンドル部分に接触させて同巡査の自動二輪車の走行の自由を失わせて右斜め前方に逸走させたうえ同人を車両とともに路上に転倒させ、よつて同人に治療約二週間を要する頭部、左肘部、顔面部挫創等の傷害を負わせたが、死亡させるに至らず、もつて右田村巡査の公務の執行を妨害したものである。

(証拠の標目)略

(殺人未遂罪および公務執行妨害の成立を認めた理由)

一、被告人は判示第三の事実につき、当公判廷において、札幌市北一六条東八丁目付近道路で被害者田村巡査運転の自動二輪車が後方から追跡してきたことはあるが、起訴状記載のように、被告人運転車両の右側約一、五メートルの近くを並進した事実はなく、同巡査に停止を命じられた覚えもないし、右自動二輪車に自車を接触させることは考えてみたこともなく、意識的にハンドルを右に切つたことはない旨弁解し、弁護人は本件接触事故の発生は被告人のハンドル操作の誤りによるものであつて、被告人には殺人および公務執行妨害の故意はなかつたと主張するので、以下判示第三の事実の殺人未遂罪、および公務執行妨害罪を認定した理由を説明する。

二、まず本件被害者である証人田村甚作の証言によると、「被告人車が警察官の停止の合図を無視して逃走したため、これを白バイで追跡して停止させた。そして速度測定場所へ連れ帰るため札幌市北一三条東一五丁目交差点で被告人車とともに信号待ちをしていたが、被告人車は信号が青になると突然右折して再び逃走した。逃走した道路は通称北一三条通りであつて、幅員約7.8メートルの砂利道であり、速度制限は三〇キロメートル毎時であつたが被告人車はそこを時速約九〇キロメートルに加速して西進し、同市北一三条東八丁目で再び右折し、東八丁目通りを北上した。その東八丁目通りは、被告人車が右折した北一三条あたりから北一五条あたりまでは、道路西側半分が工事中であつたため、道路東側部分しか通行することができず、通行可能な東側の部分は簡易舗装されてはいたが、でこぼこの穴のある道路である。しかし北一五条あたりからは車道の幅員一三メートルのセンターラインのあるアスファルト舗装道路となつており道路状況は良好であつた。自分は白バイのサイレンを鳴らし、赤色灯をつけて被告人車を追跡し、道路の悪い北一五条あたりまでは、被告人車の一五メートルから二〇メートルぐらい後方に位置し、舗装道路となつてからは速度をあげて追いあげ、舗装道路となつた所から一五〇メートルぐらい行つて被告人車に追いついた。舗装道路に入つてからは被告人車は時速九〇キロメートルぐらいの速度で逃走していた。自分が被告人車に追いついた時の状態は、自分がほぼセンターライン上に位置し、被告人車は、その右側部分が、自分の運転する白バイの左ハンドルから約一メートル左側にあるように位置していた。前後の関係では、お互いの運転席同士が並行した状態となつており、並進中いく分かの前後の移動はあるが、被告人車の前に出たことや、追いついてから意識的に後方にさがつたことはない。又並進中は肉声で「止まれ」と三度叫んでおり、被告人車の右窓も開いていたことから被告人にはそれがわかつたと思う。並進を開始してから約五〇ないし六〇メートル北進したとき、被告人車が突然右に寄つてきたので自分も若干ハンドルを右に切つたと思うが、さらに被告人車が大きく右に近寄つてきたため、さけるひまもなく自分の白バイは被告人車と接触し、自分は転倒してしまつた。被告人車が初め右によりさらに大きく右によつてきたのは瞬間的なものであつた。」というのである。

ところで被告人は、本件の客観的な経過事実中、逃走に至る経緯、逃走経路、道路状況、進行速度、結果の発生などについては当公判廷においてほぼ右田村証言にあるところを認めているものの、前記のように本件接触事故直前における車両の位置関係および被告人のハンドル操作の状況などについては、右田村証言と異なるつぎのような供述をしている。すなわち、「自分は警察官の追跡を逃れようと、東八丁目通りを時速約九〇キロメートルで直進した。その時の車の位置は、センターラインより約五〇センチほど左側に自分の車の右側があるような状態であつた。自分は追跡してくる警察官の動向を自車のルームミラーをとおして見ていたが、警察官が追上げてきたためか白バイの姿がルームミラーから消えたため、白バイの位置を確認しようと右に首をまわして後を振り返つて見た。その時白バイは自車の後部から水平距離にして約六、七メートル後方で、センターラインから、一、五ないし二メートルぐらい右側を走行していた。そしてすぐ前に向き直つた瞬間その間に自車がセンターラインを右に越えており、これに気づいてあわててハンドルを左に切つたとたん、ごつんという音がして本件接触事故となつてしまつた。右のように進路が狂つたのは、後を振り返つている間に、何かの拍子で自車のハンドルが右に切れてしまつたためと思う。後を振り返つて前方に向きなおり、事故がおこるまでの間は一秒かそこらのほぼ瞬間的なものであり、自分は、白バイに並進されたことはなく、またサイレンの音や止まれという声などは聞いた覚えはない。」というのである。

さらに、本件を間近かで目撃していたという証人古川勇の証言によれば、「本件事故発生日時ころ、東八丁目通りを北から南に向けて自動車で走行中、白バイがサイレンを鳴らし、赤ランプを点滅しながらライトバンを追いかけ北進しているのを認めた。そこで自車を道路の左脇に寄せて停止していたところ、白バイはセンターラインをまたいで走行しているライトバンの一メートルぐらい横のあたりを、白バイの前輪がライトバンの後ろへややかかるぐらいの位置で追跡してきた。そして自分の目前を通過する時には、両車の運転席同士がほぼ互いに並らび、白バイのお巡りさんがなにかしやべつていた。自分の目の前を通過してまもなくライトバンが急に右にまがつたため、白バイも右にまがつたがよけきれず衝突してしまつた。衝突後ライトバンはハンドルを左にきりかえして逃走した。接触の前後に「キーッ」というタイヤの音をきいている。ライトバンが進路を右、左にかえたときには右後輪、左後輪がそれぞれ浮き上るのが見えた。」と述べている。

三、以上三者の述べるところは、互に相異する部分があるけれども右各供述を合わせ考慮する限り、本件接触事故の直接の原因は、それまで道路にそつて平行であつた被告人車の走行進路が何らかの理由により突然、急激に右に寄つたため、すなわち被告人車のハンドルが急激に右に切れたためであると認めるのが相当である。そこで右のような被告人車のハンドルの急転把の原因が何であつたにつき検討を加えることとする。

(一)  まず、証拠として取調べた司法巡査丹保蔬他一名作成の昭和四六年八月一四日付実況見分調書(甲第五号証)添付の交通事故現場見取図(以下単に見取図という。)によれば、本件事故当時、現場には被告人車のタイヤ痕と認められる痕せきが道路上に残つていたこと(その位置関係を略記すると、接触地点とされるX地点の西側であり、被告人車の進路であつた本件道路の中央線左側に、南から北に向け始点①から終点②まで長さ約15.6メートルの右に弧を画く平行した曲線二条(①点の右側痕せき始点は中央線から1.6メートル、②点の右側痕せき終点はほぼ中央線上)が印せられ、②点で消えた二条の痕せきの延長と思われるものが、その北方向に約13.5メートル進んだ、中央線を越えた右側対向車線上の始点③から終点④まで長さ約5.5メートルのわずかに左に弧を画く前同様に平行した曲線二条(③点の右側痕せき始点は車道右端から四メートル)となつて再び印せられている。なお、接触地点である×点は①と②の間の、①から8.7メートル、②の手前6.9メートルの、中央線の西側0.9メートルの地点である。)、また、証人丹保蔬の当公判廷における供述によれば、本件現場に印せられている右タイヤ痕は、制動によるスリップ痕とは異なり高速で走行している際などに無理な進路変更をするような場合につく、異常痕というべきものであることがそれぞれ認められ、なお被告人車が当時時速約九〇キロメートルの速度で走行していたことおよび前記田村甚作、古川勇の各証言ならびに被告人の当公判廷における供述をあわせ考慮すれば、右①の地点は、それまで道路にそつて平行に走行していた被告人車のハンドルが右に切れ、その転把の効果が現れたところ、②の地点は被告人の左に切りかえす意識的なハンドル操作の効果があらわれ一時タイヤの方向が車体の方向と一致し、平行の状態となつた(車体が直進している状態)ため①地点からついたタイヤ痕が消えたところと認められる(左への切りかえしについては、これが無意識に行われたとは経験則上到底考えられないし、被告人も左転把を行つたことを認めている)。

(二)  ところで、自動車の運転操作については、その操作の効果が現実に現われるまでに不可避的に若干の時間を必要とすること(いわゆる知覚時間、反応時間等として説明されているもの)、したがつて操作の効果が現実に現われるまでの時間内は車両は速度や進路等につきその操作以前の状態をそのまま継続するものであることは経験上疑いのない事実であり、このことはハンドル転把の効果についてもそのままあてはまることであつて、このような自動車運転者が必要とする知覚時間と反応時間の合計は、運転者が危険に直面したらその回避の操作をしようと常に用意しているときは、0.6ないし0.8秒、おしやべりをしているようなときは、1.0ないし1.1秒、脇見等の不注意な運転をしているときは1.4ないし1.8秒位ということも明らかである。したがつて被告人の弁解のうに速度約九〇キロメートル(秒速二五メートル)の速度で進行しながら後を振り向いた拍子に無意識的にハンドルが右に切れ、前に向いたとき、進路がすれていることとハンドルが切れていることに気づいて即座にハンドルを左に切りかえしたものであるとしても、右知覚時間、反応時間に加えて、運転者のハンドル操作がタイヤに伝わりその効果があらわれる時間をも考慮すべき以上それに要する時間内に進行する距離は少なくとも三五ないし四五メートル程度とならねばならず、反対に被告人が意識的にハンドルを右に切つた場合であるならば、被告人はそのときからすでに左に切りかえすことを予定しこれにそなえていたことになるので、ハンドルを故意に右に切つたあと再び左に切りかえす気になつた地点からその効果があらわれるまでの距離は、一五ないし二〇メートル程度であるということになる。そこで、この所要時間ないし距離をそれぞれ右現場に印されていたタイヤ痕にあてはめて検討すると、前者の場合には、初めて車が右にまがり出したところが①地点であり、そして現実に進路がまがつて後はじめてそのずれに気づき得ることになる以上、被告人が、自車の進路のずれを発見した地点は、当然、①地点または①地点よりさらに進行した地点でなければならず、かつ、同所でただちに左にハンドルを切りかえしても、そのハンドル操作の効果が現れる地点は、約三五ないし四五メートル進行した地点でなければならないのに、本件現場においては①地点から15.6メートルの距離しかない、しかも、まだ左側車線内の②地点で早くもその左転把の効果が現われていることと矛盾することとなり、さらに②地点が前述のように被告人の意識的なハンドル操作(左転把)の効果が現れた地点であると解する以上、被告人が左転把を決意、実行した地点は、逆算して②地点より一五ないし二〇メートル手前(南側)になるはずであり、したがつて被告人はまだ車が右にまがるかまがらないうちに、かつ、まだ左側車線内進行中に左にハンドルを切ろうとしたこととなるのであつて、以上のことは被告人車の最初の右転把が被告人の意識的な行為によるものと解してのみ、はじめて理解できることがらであるといわなければならない。そして、このことに関連して、①から②点へのタイヤ痕どおりに被告人車と同種の車両を走行させた場合にハンドルの転把角度がどの程度におよぶかを当裁判所が検証した結果に照しても、被告人の右転把は無意識のうちに発生した現象であるという弁解は到底容れることができないものである。

もつとも右認定の資料となつた前記実況見分調書および見取図については、同書面の作成者である証人丹保蔬は当公判廷において右実況見分書は正確に記載されている旨供述しているものの、被告人は、当公判廷において本件見取図を弁護人から見せられた際、右見取図は今初めて見せられたものであり、右見取図に記載された位置関係は、まつたく自分の記憶と異なり、接触地点は対向車線内である旨供述しているばかりでなく、その記載内容自体をみても、タイヤ痕とスリップ痕との相異をよく知つている筈の同調書作成者が、補助者をして右実況見分調書添付写真第七枚目の説明欄にスリップ痕と記載させており、また、見取図に記載してあるセンターラインや被告人車の残したタイヤの痕せきが同調書添付の各写真からは必ずしも明瞭には認められないなど、右調書と見取図の信用性、証明力には若干の疑問がないとは言えない。しかしながら右実況見分調書添付の写真第七枚目を仔細に検討すると、同写真の左下から左上にかけて、道路と平行につけられていると認められる多数の一般車両の走行痕の方向を斜めによぎるように一本の痕せきがかすかに認められ、これと、同写真に写つているマンホールの蓋の位置関係を当裁判所が本件現場の検証において確認したところ(検証調書添付の第二見取図参照)と綜合して判断すれば右写真で認められる痕せきは見取図の①から②地点にかけて存在したと記載されている二本のタイヤ痕のうちの右側タイヤ痕の一部であることを認めることができ、したがつて、これに他の証拠から推認できる事実、すなわち時速九〇キロメートルの高速度運転中のかなり急激な転把によるタイヤ痕であること(証人古川の証言参照)、事件現場であることが明らかな場所で被告人も立会つて実施された実況見分であること等の事情を考え合せると、前記認定の基礎となつた①から②地点までのタイヤ痕が見取図の記載のとおりであつたと認定することができ、また、接触地点についても、同調書添付の写真三枚目に認められる白バイの擦過痕がほぼ道路中央部付近からはじまつていることとこれに符合する見取図の記載に、被害者の証言等を綜合すると、被害者が中央線上付近を進行中に接触された旨の見取図の記載は正しいものと認めるのが相当である。

四、右のように本件における被告人車の進路変更は被告人の意識的なハンドル操作によるものであると認めなければならないが、被告人は被害者の接触時の位置を争い、この点が犯意認定に関連するので、つぎに被告人がハンドルを右に切る瞬間における田村巡査の位置およびそれについての被告人の認識を検討すると、両車の接触直前の相互の位置関係については、前記のように被害者ならびに目撃者と被告人の供述がくいちがつているところであるが前記証人古川は白バイは、ライトバンの後にややかかるぐらいの位置で追跡してきて、自分の目前を通過した時には、運転席同士がほぼ並行の状態になつており、そのあとまもなく事故になつた旨供述しており、同人の証言中には被告人、被害者ともに否定しているのに、被告人車が東八丁目通りを北進中四、五回ぐらい蛇行したことがある、と述べるなど一部信用できない点はあるけれども、少なくとも事故直前の両車の位置関係については両車が同証人の目の前を通過していつた際の状況に属することであり、被害者の供述ともほぼ符合するところから考えてこの点に関してはその供述内容は十分措信するに足るものであり、反対に、被告人の弁解は、接触の際に生じた被告人車の右後部車体側面の擦過痕の状況(司法巡査野沢泰郎作成の昭和四六年八月一四日付実況見分調書添付の写真参照)に照して到底認めることができない。なお、右接触箇所が、白バイの左ハンドルと、ライトバンの右側の前部ではなくて後部である点は、被害者が前記証言で、最初ライトバンは小さく右に寄つてきたので接触の危険を感じ少し右に寄つたような気がする旨述べていることに鑑みれば、十分理解が可能である。そこで、さらに白バイと右のような位置関係にあつて走行中の被告人が、白バイの位置をその状況どおり認識していたかどうかを考察してみると、前記田村証言によれば、被告人車の右側窓が開かれていたこと、白バイは本件現場までかなりの距離を赤色灯を点滅し、サイレンを鳴らして追跡していたこと、現場付近においては被告人にとつて他に注意を移すべき情況はなかつたこと、田村巡査は肉声で停止命令を伝達できるような位置に達していたこと、九〇キロメートルの高速運転をする排気量三〇〇CCの田村巡査運転の白バイの走行音はかなり高く、被告人は運転席からその距離の把握が十分可能な状況にあつたと思われること等の諸事情を考えると、前記のような位置関係にあつた以上、被告人は白バイの右位置をそのとおり認識していたものと認めざるを得ず、この点に関する被告人の当公判廷における供述も信用できない。

五、以上のような状況であるかぎり、被告人がハンドルの急激な転把をすれば、両車が接触すること、その結果、不安定な自動二輪車を高速で運転中の田村巡査が走行の自由を失い、アスファルト舗装の固い道路面上に墜落、転倒等して重傷を負うことがあることは勿論、場合によつては同人が死亡するかも知れないこと、同時に同巡査の警察官としての職務の執行を妨害することになることを被告人において十分認識できた筈であり、認識していたと認めなければならず、以上の次第で本件においては判示のとおり殺人未遂罪および公務執行妨害罪の成立を認めたものである。

(法令の適用)略

(量刑の理由)

本件は、無免許で自動車を運転し、しかも速度違反を犯した被告人が、これを検挙されようとすると、逃走をはかり、警察官の追跡を逃れるため、職務執行中の警察官に対し重大な結果を招くことになることを十分知りながら、あえて自車のハンドルを右警察官の進路に向けて急激に転把したものであつて、その犯行の動機、態様は極めて悪質かつ危険であり、また被告人は無免許運転の常習であると認められ、そもそも、その交通法規無視の態度が本件の事態を発生させた原因の一つであつたともいい得るものであつて、本件の犯情は重大である。

このような情状に照らせば、たとえ本件が偶発的な犯行であるうえ結果も幸いにして大事に至らず、また被告人にはこれまでとりたてるほどの前科や前歴もないうえ、被害者に若干の見舞金を贈つているなど被告人に有利な事情もあるけれども、なお主文掲記の刑は免れないものというべきである。

よつて主文のとおり判決する。

(佐野昭一 内匠和彦 末永進)

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